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2008年03月24日    コメント ( 18 )

母からのメール。

ストックホルムはこの冬最高(たぶん違う)にも思えるくらい、キーンと冷え込んでいます。寒すぎて雪も降りません。明日の予想最高気温は2度。最低気温はマイナス12度だって。

さて、昨日のエントリーへは大変多くの反響を頂き、正直驚きました。色々な方のご意見を伺えて大変参考になりました。ありがとうございます。そんな中、僕が特に意見を聞きたいと思っていた母からメール(手紙じゃなくて、メールというところが現代的ですよね)が届きました。非常に参考になる内容でしたので、皆さんにもご覧頂きたいと思います。(注:僕の独断で一部を削除、もしくは編集しています。)

母の事を軽く紹介すると、今から約40年前に重症障害児(知的障害と肢体不自由の重複)の施設で保母として働いていた経験があります。コメントの最初からとても考えさせられる内容でした。

先日のエントリーに頂いたコメントへの、母の意見から始まります)
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お母さんがとった選択肢、今でもまだまだそうですが、30年前にということは、なんと勇気のいること。世間からはほとんど非難しかされないような選択だったと思います。

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ビスケットで休憩中
カメラ: Hasselblad XPan
フィルム: Fujifilm Press 800(品質保持期限切れ)
レンズ: Hasselblad 90mm F4.0 もしくはHasselblad 45mm F4.0

お母さんは確信をもってその道に進んだとは思えません。どんなにか悩み、考えて選択したのだと思います。そしてその後も、いつも悩みつづけられたと思います。この選択が正しかったか、と。周りのサポートがどれだけあったのか、30年前といえばほとんど孤軍奮闘状態だったと思います。この方法で、子供が幸せかどうだろうか悩み苦しまれたと思います。

正解なんてあるわけないし、失敗したということもたくさんあるはず。生きているといつも状況が同じなんてことはあるはずがなく、時々刻々、いろんなことが変化していきます。それにひとつひとつ考えて最適な対応していくのは不可能です。きっとそのお母さんは何か大きな信念(今までの生き方から得たこととか、信仰、教育理念)をお持ちだったのかもしれません。

そういうお母さんに頭が下がります。

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寄って撮ると迫力があるね
カメラ: Hasselblad XPan
フィルム: Fujifilm Press 800(品質保持期限切れ)
レンズ: Hasselblad 90mm F4.0 もしくはHasselblad 45mm F4.0

確かに養護学級という選択もあるけど、本当にどっちが良いかということは言えないと思います。それぞれいろんな道を歩んで来られた親子たちの苦悩と、経験の蓄積があるから現在の日本の児童福祉がやっとここまで来れたんだということを忘れてはいけないと思います。

多分、スウェーデンも児童福祉の萌芽期には、大変な苦労をしてきた親子たち、理解者たちがいたのだと思います。と、良く知りしないくせに偉そうに書いてしまいました。 イクル注:僕もよく知りませんが、僕の知っている限りでは、スウェーデンの整った公共福祉システムは、日本よりも一世代(25年くらい?)早く始まっています。障害者へのサポートはどうなのか、機会があったら調べてみたいです。

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大胆な遊び方を楽しむミチカ
カメラ: Hasselblad XPan
フィルム: Fujifilm Press 800(品質保持期限切れ)
レンズ: Hasselblad 90mm F4.0 もしくはHasselblad 45mm F4.0

たった50年前、障害を持った子供、特に重症の子は日本では家の中で隠されていて(イクル追記:納屋や部屋の片隅に隔離されていたそうです)、食事を与えられるだけのような存在でした。おそらく日本で最初にそういう子供達を保護し、お母さんを助けた(そういう子供を産んだだけでも離縁される時代)のが私の勤めていた施設です。創設者夫妻が自宅を開放して始めました。

私の勤めていた時代(創設から10年後)でもまだ、障害をもっていることで家族から捨てられた子供達は大勢いました。そして、保母という仕事は、最低の仕事と見なされ、汚れる汚い仕事、お嫁に行けなくなる仕事と世間では言われていました。

そんな不遇の時代に、お母さん方とそこで働いている方々の、世間と行政との戦いの末、現在のような体制が出来てきたのです(まだ不備がいっぱいあるけど)。ここで「子供達」と書いていないのは、子供達は障害をもっていて声を上げられないからです。だからお母さん方の奮闘とその声は子供の魂の声で力強い声なんだと思います。


メール引用ここまで。
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いかがでしたか?
僕が「言葉の響きがどうこう」程度の問題提起ができるのも、こういう方々の苦しみと努力があったからこそなんだと改めて認識しました。

明日からは、(たぶん)親ばかブログに戻ります。


 
 

コメント

何度も読み返しました

私達親子も悪戦苦闘で答えの無い道を親子で歩んでいるんは同じだけれど

昔の方がの苦労から思えば、今の子供達は恵まれていますね

納屋や部屋の片隅に隔離されていたそうです・・・コメントには、言葉を無くしました

保母という仕事は、最低の仕事と見なされ、汚れる汚い仕事、お嫁に行けなくなる仕事と世間では言われていました・・・コメントも同様に驚きました

貴重なお話有難うご座いました

投稿者 マーママ


いくるさん、そしてこのブログを読まれている皆様、わたしの軽はずみな発言にて傷つけてしまって申し訳ありません。
言葉の選び方に配慮がまったくありませんでした。
普通だとか、社会人だとか、簡単に使ってはいけませんね。
本当に申し訳ありません。

お伝えしたかったことは、どんなに周りにどう言われどう思われても、親が信じることの大きさを伝えたかったのです。
親の強さを間のあたりにしてきたことを伝えたかったのです。

ただ、友達がたった二人と言ったことは、マイナスの意味にとらえないで下さいね。
私はすばらし二人と思っております。もちろん二人で十分です。
そう思っていないのであれば、私はそんなことは書きません。

これも言葉の取り方ですね。
言葉だけでのコミュニケーションは、難しいです。
ただ、私は、この二人の友人が大好きなので、そこだけは訂正させて頂きます。

本当に申し訳ありませんでした。

50年前、傷害のある子が、隔離されていただことは、母から聞いておりました。
私も母から聞いた時に言葉失いました。

ただ、ひとりでも多くの子が、幸せそうに笑ってほしい。
ただそれだけです。

これからもブログ拝見させて頂きます。
いくるさんのご家族の大ファンですので。

色々と考えさせて頂きありがとうございました。

投稿者 じょご


すみません。続けて書かせて頂きます。

いくるさんのお母様。
メールの文章を読みながら涙が止まりませんでした。

母は、ずっと悩み続けたけど、最近になりやっと、こうしてよかったとあなた(私)に話せるようになったと。
何かを考えたというより、ただただ、必死だっただけなんだけどねと話してくれます。
兄を特別な目で見る目から、ただただ守りたかったと。


何が正しくて、何が間違っているかは、わかりませんが、
母の選んできた道は、正しかったと思います。
近くにいる私くらいは、言い切らないとです。

うちの母は、「うちの子おもしろいでしょ〜☆」と言っていつも陽気に笑ってました。

そんな母を見習い、わたしも毎日笑いながら、子どもたちを育てていこうと思います。

貴重なお話ありがとうございました。
いくるさんもお母様のメールをご紹介して頂きありがとうございました。

いくるさんのブログは、いつも色んなことを考えさせられます。
本当にありがとうございました。

投稿者 じょご


今回改めて、人に伝える言葉の難しさ、言葉の意味・重さについて
考えさせられました。
何が普通であって、何が普通ではないのか。
誰がそれを決めているのか。
人は人として、何も変わらないのに。

Ikuruさんのお母様のメールで、『50年前は障害を持った子供は隔離され
食事を与えられるだけの存在』とありましたが、1年程前に見たテレビ番組で
ボリビアで自費を投じて施設を開いている日本人女性を追ったドキュメントを
見たのを思い出しました。ボリビアでは、今も障害を持って生まれた子は隔離され
食事だけをあたえられるだけ、と同じような事をその方が仰っていました。
悲しいことですね。

投稿者 kaokao


今回のいくるさんの問題提起、それに対して真摯にコメントされているみなさんに共感し私も書き込みします。

まず、公の場でのこのような実直な議論は大切な気付きをくれる貴重なものだと思います。(いくるさんに感謝!)私自身、無用心さゆえ、無知ゆえ言葉で人を傷つけてしまうことがあると思います。反省しながら読ませてもらいました。夫ともいろいろ話し合いました。

そして思ったことは、(本題からそれたことなのでこの場で書くことではないかもしれません。その場合どうぞ遠慮なく削除してください。)ジョゴさんが書かれていたようにコメントの中の言葉で嫌な思いをされた方がいらっしゃるかもしれません。(でも私と夫にはジョゴさんの趣旨はよく分かったし、なによりご自身と同じ環境の家族を励ましたいという想い伝わりました。) でもどうか・・・うむ、なんと言ったらよいのか。頑張っているみなさんが誰かの何気ない言葉に傷つかないでほしいと思いました。

以前不妊症の友人が、毎年年賀状が来るお正月は気持ちが重くなる。年賀状だからとわかっていても幸せそうな家族の写真を見せつけられるともう少し気遣って!と思うと話してくれました。もらって嬉しいはずの年賀状が誰かの心を傷つける。病気、家族、その他にも当事者でないと分からない感情は多いでしょう。立場変われば自分もまた反対の立場になります。

いくるさんや他のかたも同じようなことをおっしゃっていますが、私は自分の病気や家族に関しての悪意のない言葉に傷ついたり、気に障ったりしたときは一呼吸おいて「過剰に反応しすぎていないか?」と考えるようにしています。やんわり注意をすることもしますが、自分の心の中の感情処理として一度冷静に他者の立場で眺めてみるよう努めます。

できる限り不必要に相手を傷つけない、不必要に自分も傷つかない。
人が住みやすくなる社会を作っていきたいですね。子供にも伝えていかなければと思いました。

投稿者 giraffe


こんばんは

私は自閉っ子達が暮らしやすい社会になる為には、周囲の人間が自閉症について知っていなければならないと思っています
高機能自閉やアスペルガー、ADHDや学習障害等を含めれば100人に3,4人はいると言われています
学校のクラスに1人か2人はいる勘定になりますね
でもねみんなに自閉症を理解してもらうのってなかなか大変なんです
専門用語だったりするとチンプンカンプンだしね
そこで漫画だったりしたら読んでくれるんじゃないかな・・・って思ってたら
あるんです
ぜひみんなに読んで欲しいのです
他にもニキ・リンコさんの本は、4コマ漫画付きで楽しく読めると思います
森口奈緒美さんは、日本で最初の自閉症者としても手記を書かれた方です

秋田書店「光とともに・・・」 戸部けいこ

花風社「自閉っ子、こういう風にできてます!」 ニキ・リンコ

花風社「俺ルール」 ニキ・リンコ

花風社「変光星」 森口奈緒美

他にも紹介したい本は多数あるのですが・・・・

いくるさん すみません
こんな事は自分のブログ等でやれば良いのでしょうが、どうも当事者のブログには当事者の方が多く訪れるようでして・・・
知らない人に知ってもらう機会だと思い、長々と書き込んでしまいました。

投稿者 きんぱら


言葉は難しい・・・本当にそう思います。
私は大学、大学院、仕事とアメリカで過ごしました。大学の一年生のとき、必須の「スピーチ」というクラスがありました。このクラスでは、公の場で話すため、言葉遣い、文の構成、話し方、立ち居振る舞いなどを学びました。人前で話すということがとても多く、政治家、セールスの仕事をしていなくても、「自分の言いたいことをアピールする」ということはとても重要だと考えられていると思います。

「政治的に正しい言葉」を使うよう、差別用語、差別につながる言葉は使わないように、また代わりに正しいことばを教わりました。
ポリスマンとは言わずに、ポリスオフィサーと言う(女性の警官もいるので、マンは適切ではないから)といったことですが、私自身まったく差別するつもりはなくても、使っていた言葉です。意図せずに使った言葉が誰かを傷つけたとしたら、これは言った本人もショックだと思います。でも、なんとなくまわりが使っていたから、疑問も持たずに使っているということがあるのかもしれません。

アメリカの場合、逆差別というのが問題になるほど、ちょっと行き過ぎじゃないかと思うこともありますが、日本もスウェーデンもこういった教育が必要じゃないかなと思います。じょごさんのコメントですが、もし、じょごさんがお話されているのを聞いたら、とても温かく、やさしいニュアンスが伝わってきたんじゃないかと思います。
書くということは本当に難しいですね。

giraffeさんのコメントに「家族写真つきの年賀状」というのがありましたが、これは時々耳にします。送っている方としては、まったく悪気はないですよね。また逆にあそこは子供いないから、写真なし・・・としたら、それがわかったとき、かえって傷つけるかもしれない・・・考え出すとどうしていいのかわかりません。でもそこまで考えたら、もう何もできないと思うのです。

私は、発達障害を持った子(自分が発達障害を持つ子の施設で働いているので。他の障害、病気のことはわかりませんので、こういう書き方をします)は適切な指導、環境でどんどん成長します。イクルさんのおっしゃるように「治る」ことはありません。現実には生涯において、なんらかのサポートが必要な場合があると思います。私は自閉症の子供、大人、アスパリアの子供、大人と様々なタイプの施設で働いてきて、現在友達として付き合いの続いているアスパリア症候群の大人もいます。
イクルさんのお母様ほどではないですが、それでも周りの理解を得られないことも多々あります。でも自分がやりたいと思って応募した仕事だし、決してやめたいとは思いません。子供たちとも親御さんたちとも、腫れ物をさわるかのような付き合いはしたくない。だから、正しい言葉を堂々と遣いたいです。

投稿者 るー


私は心の障害を抱えています。種類(この言葉が適切かどうかはわかりませんが)は違えど、イクルさん家族が他人事とは思えません。私も偉大な母のお陰で毎日を楽しく過ごしています。働けない状況ですが、いつか働ける日がくると思って、今は家で療養しています。生まれて来たからには、笑って過ごしたい。その為に、何が必要かそうではないか今後もまわりに支えてもらいながら、考えて生きていきたいです。

投稿者 ひろみん。


この記事を見ずに、ひとつ前の記事に再びコメントを書いたところですが、
人間の歴史や苦悩を伝えて頂く、この記事のお母さんの言葉は力強いですね。
胸を打ちます。

ジョゴさん、謝る必要はないですよ。
私はあなたの言葉使いを間違っていると思わないし、
この記事で伝わってくること、たくさんありますものね。

投稿者 デュー


今回のイクルさんのお母さまのメールを読んで、自閉っこの息子が今の時代に
生まれてきたことを、あらためて感謝しなければ・・・と思いました。

この先。わたしもこどもの将来の選択に悩み迷いながら進んでいくと思います。
(息子は特に悩むでしょう☆)

でも。30年前にくらべたら相談できる窓口がたくさんある。
発達障害の研究も進み、理解してくれる人も増えました。
こうしてパソコンでのやりとりも可能!

とても心強い時代ですね。
この環境を当たり前だと思わずに、大切にしていきます。

投稿者 えりぷう


マーママさん
そうですね、これまでに頑張られてきた方のことを思えば、本当に私たちは恵まれていると思います。

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ジョコさん
コメントありがとうございました。
私がエントリーの題材としたために、色々と思い悩ませてしまう結果となりましたことをお詫びいたします。
コメントの冒頭に記すべきだったのですが、私はジョコさんの本意についてはちゃんと理解していたつもりです。しかし、ブログ記事にするにあたって、その辺をさらに確認しておくべきだったと今になって思っています。

また、ご心配をお掛けしてしまいましたが、私は全く傷ついたりしておりませんので、気になさらないで下さい。ブログのテーマとして良いきっかけを頂けたと大変感謝しております。私の母とのやり取りを経ながら、尚更、ジョコさんのお母様の素晴らしさを確認いたしました。

うちの子もおもしろいですよー(笑)。
これからもよろしくお願いします。

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kaokaoさん
本当に色々と難しいですよね。隔離されていたこども達という言葉もショックですが、おそらくそれ以上の悲劇もあったことと思います(世界中どこでも)。そのような悲しい出来事が少しでも減るようになって欲しいものです。

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giraffeさん
いえいえ、私も皆さんに感謝したいです。なんとなくタブー視されていそうな事(そんな事は無いかな?)に対して、有意義な議論が出来たと思っています。非常に勉強になりました。

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るーさん
>ポリスマンとは言わずに、ポリスオフィサー

保母さんではなく、保育士と言うようになったのと同じですね。これまでの文化が変わってきた事によって出てきた言葉の変化、過渡期なのだろうとは思いますが、適切な言葉、発言を必要とされる方にとっては気が抜けないことでしょう。気にしすぎるのも変ですが、無関心すぎるよりはやっぱり良いのでしょうね。

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きんばらさん
本のご紹介ありがとうございます。内容については全く存じておりませんが、聞いたことのある本もありますね。機会があれば読んでみたいと思います。

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るーさん
>ポリスマンとは言わずに、ポリスオフィサー

保母さんではなく、保育士と言うようになったのと同じですね。これまでの文化が変わってきた事によって出てきた言葉の変化、過渡期なのだろうとは思いますが、適切な言葉、発言を必要とされる方にとっては気が抜けないことでしょう。気にしすぎるのも変ですが、無関心すぎるよりはやっぱり良いのでしょうね。

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ひろみんさん
楽しく前向きに過ごされているとのこと素晴らしいと思います。後ほどブログも拝見しますね。

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デューさん
はい、確かに母からのコメントは説得力のある良い言葉だと思いました。
先ほど一つ前の記事のコメントに私も書きましたが、私もジョゴさんの言葉遣いについて、間違っているとは全く思っていませんよ。

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えりぶうさん
障害を持っている子にとってもそうですが、おそらくサポートが必要な人、そして、これから必要になる人=全ての人にとって、大事な事だと思います。
パソコンでやり取りが出来るのは本当に素晴らしいと思います。悩むことがあるときには本当に心強いですね。

投稿者 いくる


一眼レフのカメラが欲しくて以前検索した際に、イクルさんのサイトにたどり着き、子供達の愛らしさに釘付けになって以来、規則的に拝見させていただいております。その上、私は音楽、神学畑出身で、すぐ南のドイツに住んでおりまして、なにか共通するものを感じておりました。

この前と今回の記事を拝見し、いろいろな意味で感動いたしました。私は翻訳をしておりますが、学術や文学では、読む人間に共通の言葉の概念を使用して訳すという課題は、実際は殆ど実行不可能です。それほど言葉は曖昧なのに、それをもってコミュニケーションを取らなくてはいけないというところに、大きな絶望を感じたこともありました。

私自身の息子も、当時いたスイスで離婚が原因の多動になり、障害者手帳をもらってくれれば、プログラムに盛り込まず一人で隅っこで遊ばせておけるから、早く小児精神科へ行ってくれと幼稚園で催促され、先生と喧嘩をしたことがあります。親が盾にならずに誰がなるか、それだけしか考えておりませんでした。離婚をしたことについて、四歳の息子に言葉では何も言えない罪の意識は大きかったです。
ですので、『子供達は障害をもっていて声を上げられないからです。だからお母さん方の奮闘とその声は子供の魂の声で力強い声なんだと思います。』という行は本当に心に突き刺さりました。

でも、親子も含めて人間関係に限って言えば、最終的に伝わる部分というのは、言葉以外のジェスチャーが最も大きいという風にも感じます。希望的観測ですが。
今回も、多くのコメントを読みながら、様々な視点で思考をめぐらせるきっかけにはなりましたが、最終的に私の胸を打ったのは、コメントを残した方々や、イクルさんご自身、またはお母様の、言語というものの裏にあるコミュニケーションに対する努力でした。それはブログ上でもそうですが、子供に対する愛情、または障害を抱える子供達への愛情なども、結局は善意の行為へと変化していくことで、人間の関わりと信頼が築かれていく。そういう人間の根源にある、信頼して良い善良な精神を背景に読み取ったような気持ちがしたのです。

人間には善悪両方が含まれることで、全体を形成していますが、この二件の記事では、人々の善の部分、文明人としての良心への絶え間ない試みが伝わって来たことに、私個人は感動したのだと思います。これも、ホストイクルさんのお人柄あっての事ではないでしょうか。

これからも興味深く愛読させていただきます。

投稿者 みどりやま


はじめまして。
今現在ドイツにおります。一眼レフカメラを探していてたどり着き、愛らしい子供達に釘付けになって以来のファンです。

私自身の息子も、スイスにいた頃、離婚が原因で多動になり、幼稚園の教師から障害者手帳をもらってくれれば、プログラムに盛り込まず一人で隅っこで遊ばせておけるから、早く小児精神科へ行ってくれと催促され、大喧嘩をしたことがあります。親が盾にならずに誰がなるか、それだけしか考えておりませんでした。離婚をしたことについて、四歳の息子に言葉では何も言えない罪の意識は大きかったです。

ですので、『子供達は障害をもっていて声を上げられないからです。だからお母さん方の奮闘とその声は子供の魂の声で力強い声なんだと思います。』という行は本当に心に突き刺さりました。

この前とこの記事を拝見させていただき、様々な視点から思考をめぐらせるきっかけをいただきました。
しかし最終的に、私の心を強く動かしたのは、コメントされた方々、イクルさんご自身や、お母様の手紙などの背景に一貫して流れている、人間のコミュニケーションに対する止まない努力です。
結局、関わりを求めるというある種の人間愛は、親子の関係や弱者に対する愛も含めて、言葉ではなく、それが善意に基づいた行為となることで、初めて信頼が生まれ、関係が築かれていく。さらには、行為となることで初めて言葉に信憑性が備わるということでしょうか。
全体の内容から、それを裏付けるように、皆さんの関わりへ対する渇望と、人間の根源に流れる文明人としての、良心への絶え間ない試みといったものを感じました。
親の悪行でも、他人の悪行でも、それが善意から発した場合、一概に批判するのは難しいですね。その辺に、障害者や弱者を対象としたコミュニケーション、表現の難しさがあるようにも感じました。

どちらにせよ、このように多くの人々の善良な意志を刺激して、たくさんの意義ある議論を展開できるのは、やはりサイト運営者のイクルさんのお人柄あってのことだろうと思います。

これからも、興味深く愛読させていただきます。

投稿者 みどりやま


みどりやまさん
コメントありがとうございます。大丈夫です。ちゃんと反映されていますので、ご安心ください。回線状況などによって、コメント反映(ブログ上の様々なデータの書き換えが行われます)までに少々時間がかかることがありますので、送信してから暫くお待ちいただけると良いかと思います。
ブラウザによっては、リロードを行わないと反映後の画面が表示されない場合もありますので、お試しください。

一番最初に書き込みいただいた物と、次の物とでは少しだけ内容が違うようですが、どちらを残しておきますか?それとも両者を合成しますか?すぐに変更できますので、ご希望の方法をご遠慮なくお申し出ください。

投稿者 いくる


タイミングとか色々外し気味で恐縮ですが…

言葉の難しさは、それを定義するのにも言葉を使わなければならないジレンマにあるのかも知れません。文脈やその場の「空気」(=感覚や感情)とも関わるものだと言う面もありそうです。
人間そのものもその考えも言葉も変わりゆくもの、言葉だけでその言わんとする所を受け取ろうとする時、立場や感情等を越えて、そこにどんな意味が込められようとしたのかを慮ろうとする努力というのが、一つの大切な部分なのかもしれません。

ここ数本のエントリーに関わった方々の努力はとても重要なものだと思いますが、その中では間違いも正解も無かっただろうし、僕の様にその事について深く考えを巡らせた事が無かったとしても、それをせめる事も無いのだと思います(悔やむ事はあるかも知れませんが)。

普段から言葉も含めて、いかにも軽い僕としては、これも一つのきっかけとして、今後は言葉の重みと言うものを意識してみたいと思います。…が、それではまともにしゃべる(書く)事ができないかも…人にも場にも自然な感じと言うのが実は一番難しいのかも知れませんね。

投稿者 tsq


tsさん
いえいえ、普段はそんなに意識する必要の無いことだと僕は思います。でも、こういう考え方もあるんだと、知っているのと、知らないのとでは大きな違いがあると思います。僕なんて、全く考えもせずに不用意な発言をして、後で悔やむことなんてしょっちゅうです(笑)。

投稿者 いくる


いくるさん、すぐにお返事アドバイスありがとうございました。サイトを荒らしてしまったみたいで申し訳ありません。コメント投稿は無理だったので、気軽にまた読みに参りましたら、三つとも入っていました。
内容や言いたいことは同じなので、どちらかを削除していただいて構いません。いくるさんが、合成してくださっても結構です。
リロードは何度もしたんですが、それでもコメント数も増えていなかったのでちょっと内容も削除したりして試行錯誤してしまったのです。Firefoxなので問題はないと思うんですが。
基本的に、もうちょっとゆったりとした人間になって、コメント即反映でないからと言って、こういうことにならない様に気をつけないといけませんね。
ではお手数ですが、処理の方お願いいたします。

投稿者 みどりやま


みどりやまさん
大丈夫です。たしかに5-6個もコメントが同時に入ったので驚きました(笑)が、すぐに削除等ができますのでご心配なく。とりあえず、最初の2つはそのまま残しておきますね。適当なときに合成するかもしれません。

リロードの件、僕もFirefoxで試してみました。確かにコメント投稿直後には反映されませんね。でもリロードをしてみると反映されました。うーん、何が違うんだろう。機会があったら調べてみますね。

投稿者 いくる


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